大会の特徴
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熊本県北初のフルマラソン「玉名いだてんマラソン」と「横島いちごマラソン大会」を同時開催
- 「金栗四三」ゆかりの地で「玉名市の魅力」を楽しめます。
- いちごやトマトハウスなどの田園地帯を走る平坦なコース
コースが田園地帯、横島干拓地内、菊池川の河川敷など、高低差がほとんどなく、走りやすく、記録も出やすくなっており、自然を満喫できるとても気持ちのいいコースです。
- うまかもんでおもてなし
エイドステーションでは、いちごやミニトマト、玉名市の特産品があり、フィニッシュ後には会場でおもてなし。
ゲストランナー
- 金 哲彦さん(Kin Tetsuhiko)
プロ・ランニングコーチ 1964年福岡県生まれ。
早稲田大学時代、無名ながら1年生で箱根駅伝の5区に抜擢され、1985年には同区間で新記録を樹立、早稲田の箱根2連覇に貢献した。
1986年リクルートに入社後、ランニングクラブを創設。
マラソンでは別大マラソン3位。東京国際マラソン3位など選手として活躍後、1992年に故小出義雄監督率いる同クラブのコーチとなり有森裕子など、数々のオリンピック選手を指導した。
2002年ランニングクラブの先駆けとなるNPO法人ニッポンランナーズを創設。
現在は、全国各地のマラソン大会にゲスト参加するなどランニングの普及活動を行なっている。『ランスマ倶楽部』(NHK-BS1)などのMCや駅伝・マラソンの解説者としても活動中。2019年NHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺』ではマラソン指導を担当。
2021年の東京オリンピックや世界陸上オレゴン大会でも陸上競技解説をつとめた。ランニングに関する著書は多数。
近著は『新型コロナ時代のランニング』(KADOKAWA)
- 三津家 貴也さん(Mitsuka Takaya)
熊本県玉名高校で陸上競技(中距離走)を始める
・インターハイ800m 6位筑波大学(体育専門学群)、大学院(人間総合科学研究科 体育学専攻)でランニングについて研究
・学生個人選手権1500m6位
・学術論文を3本投稿(国内誌1本、国際誌2本)
・国際学会発表RUNNNING SCIENCE LAB でランニングコーチをしながら、陸上競技選手としても活躍
・日本選手権800m出場
・PB:800m1’50”11、1500m3’46”33現在、ランニングコーチ、モデル、体育の非常勤講師、インフルエンサーなどマルチに活躍中
三津家貴也 オフィシャルサイトhttps://mitsukatakaya.com/
- 福田 穣さん(Fukuda Jo)
生年月日1990年12月31日
熊本県玉名市出身中学から陸上を始め、高校2、3年時に全国高校駅伝に出場。国士舘大学では2年時に全日本大学駅伝、3年時に箱根駅伝に出場。全日本実業団駅伝には計7回出場。八千代工業陸上部に進み、その後西鉄陸上競技部に移籍。
2016年にびわ湖毎日マラソンで初マラソンを経験。2017年北海道マラソンで3位入賞、2018年ゴールドコーストマラソンでは2時間9分52秒を記録し3位(日本人2位)をマーク。2018年福岡国際マラソンで7位に入りMGC出場権を獲得。2019年MGCでは22位。同年12月の福岡国際マラソンにてMGCファイナルチャレンジに挑戦し、オリンピック出場権は逃したものの2時間10分33秒で3位入賞(後に繰り上げで総合2位)を果たした。第42回ゴールドコーストマラソン2022優勝。
2020年8月、西鉄を退社しプロランナーに転向。世界最強のマラソン軍団『NN Running Team』に日本人初の選手として所属。パリ五輪を目指し進化を続ける。
金栗四三とは

マラソンの父 金栗四三
玉名市名誉市民第1号である金栗四三さんは、マラソン選手として3度の世界記録を樹立し、日本人で初めて、第5回オリンピック・ストックホルム大会に出場しました。
マラソン普及のため、下関~東京間・樺太~東京間・九州一周を踏破し、全国走破を達成。また今や正月の風物詩となり、多くの人に深い感動をあたえる「箱根駅伝」は、四三さんも発案者の一人です。

ストックホルムオリンピック出場
明治45年、日本が初出場したオリンピック「第5回ストックホルム大会」は、猛暑に見舞われ、マラソン選手68人のうち34人がリタイアする過酷なレースとなりました。四三さんも日射病により、26.7キロ地点で棄権を余儀なくされます。

日本のスポーツ教育のさきがけ
3度のオリンピック出場で、世界のスポーツ競技の水準は想像以上。四三さんは、日本でもスポーツを広めなければならないと決意します。
日本体育・マラソン普及のため箱根駅伝(大正9年)を企画するなど、現在のマラソン界につながるあらゆる試みが四三さんの発案です。

大きな功績を残した人生
金栗四三さんは、期待を背負って出場したオリンピックで結果を残せませんでしたが、日本初の大きな国際大会への参加から得た教訓を生かし、その後の人生においてマラソン界の発展と日本スポーツの基礎を築くことに奔走しました。
「体力・気力・努力」の精神のもと、誰もがスポーツを楽しむ日本をつくることに生涯をかけたのです。
金栗さんをもっと知りたいときは

歴史博物館こころピア
歴史博物館こころピアでは、功績を紹介したリーフレットを配布しているほか、遺品や写真を掲載した図録『マラソンの父・金栗四三 -25万キロの人生-』や楽しく遊びながら足跡を学べる「金栗四三すごろく」を販売中です。